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漫画から学ぶ仕事論【LIAR GAME】
皆さんは、人を信じていますか。
もしそうだとしたら、その「信じる」は本当に相手に向き合った結果でしょうか。
それとも、相手を深く見ないための、都合のいい言葉になっていないでしょうか。
人を疑うことは悪いこと、信じることは良いこと。
私たちはつい、そう単純に考えてしまいがちです。
もちろん、私も社長に就任するまでは、そう考えていました。
しかし、現実の人間関係や組織運営は、そんなにきれいには割り切れません。
私は、弊社の創業者であり、現「顧問」の小松から何度も同じことを繰り返し言われてきました。
「人の言っている事を簡単に信じるな。鵜呑みにするな。必ず自分の目で見て、確かめて物事を判断しなさい。」と。
今回のブログの内容は私が小松から言われ続けてきた、この言葉の本当の意味を表していると思います。
前回まで、2回続けて『ブルーロック』から名言の紹介を行ってきましたが、今回は漫画『LIAR GAME』4巻 第29話/GAMEⅢの場面を入り口に、人を「信じる」ということについて、また、経営者として人を見るとはどういうことかについて考えてみたいと思います。
前回と同じように最初に少し、『LIAR GAME』についてご説明しておきます。
『LIAR GAME』は、2005年から『週刊ヤングジャンプ』で連載された、心理戦・頭脳戦・サスペンス色の強い作品です。
突然「ライアーゲーム」に参加させられた人々が、大金を奪い合うゲームの中で、嘘、信頼、裏切り、欲望、善意、支配構造と向き合っていきます。
単なる「騙し合い漫画」ではなく、人はなぜ騙されるのか、なぜ盲目的に信じたくなるのかまで掘り下げてくるのが、この作品の面白さです。
では、下記から本題です!



出典:漫画『LIAR GAME』4巻 第29話「GAMEⅢ」より
今回の場面に描かれているのは、ざっくり言えば次のことです。
- 人を疑うことは、相手を知ろうとすること
- 「信じる」という言葉の裏で、相手を見なくなることがある
- 本当に怖いのは疑うことではなく、相手に無関心になること
- 思考停止した善意は、ときに悪意よりも厄介になる
この場面が刺さるのは、「疑う」という言葉を単なる不信や攻撃性として描いていないからです。
むしろ秋山(元天才詐欺師)の言う「疑う」は、相手の事情、背景、苦しみ、本音を見ようとする態度に近い。
逆に、「私はあなたを信じています」と言いながら、実際には相手の置かれた状況や苦しさを見ようとしないなら、それは信頼ではなく、責任を持たないための便利な言葉にもなりうる。
そんな痛烈さが、この場面にはあります。
経営者として、この場面をどう読むか
経営者の仕事は、理想論だけで組織を運営することではありません。
人の善意を信じたい一方で、その善意だけに依存して仕組みを作ると、組織は簡単に壊れます。
たとえば、社員に「君を信じてるから任せるよ」と言うことは、一見すると素晴らしい言葉に聞こえます。
でもそのあとに、進捗も見ない、悩みも聞かない、負荷も確認しない、判断の背景もすり合わせない、となれば、それは本当に信頼なのでしょうか。
もしかしたらそれは、マネジメントの放棄を“信頼”と呼んでいるだけかもしれません。
この場面の秋山の言葉を、私はそういう文脈で読みました。
相手を疑うとは、相手を責めることではなく、本当に大丈夫かを見に行くことです。
順調そうに見える社員が、本当は限界に近いかもしれない。
「問題ありません」と言う部下が、実は言い出せないだけかもしれない。
取引先の「大丈夫です」が、現場の無理の上に成り立っているかもしれない。
経営者に必要なのは、言葉をそのまま受け取る優しさだけではなく、その裏側まで見ようとする責任だと思います。
「信じる」は美しい。だからこそ危ない
経営でも組織でも、「信じる」はとても美しい言葉です。
だからこそ、この言葉は簡単に自分を正当化するために使えてしまいます。
- 自分は信じて任せた
- 本人が大丈夫と言った
- あえて口を出さなかった
- 自主性を尊重した
こうした言葉は、聞こえはいい。
でも実際には、「見に行かなかった」「聞きに行かなかった」「考えなかった」というだけのこともあります。
経営者として怖いのは、悪意を持って誰かを傷つける人だけではありません。
むしろ、自分は良かれと思っているのに、相手の現実を見ていない人のほうが厄介なことがあります。
善意で仕事を振り、善意で厳しい要求を出し、善意で成長を期待しているつもりでも、相手のコンディションや背景を見なければ、その善意は簡単に暴力になる。
この場面で語られる「無関心こそ怖い」という感覚は、まさにそこにつながっているように感じます。
社員指導に置き換えると、「疑う」は観察であり対話である
社員指導において、「疑う」という言葉は強すぎるかもしれません。
でも、意味としてはかなり本質的です。
ここでいう「疑う」は、
「本当に理解できているか」
「本当に納得しているか」
「本当に無理をしていないか」
「本当は困っているのに言えていないのではないか」
を見に行くことです。
つまり、観察であり、対話であり、確認であり、想像力です。
部下が「大丈夫です」と言ったときに、その一言だけで終わらせる上司と、表情や口調や進み具合を見て「本当に? 何が一番困ってる?」ともう一歩入れる上司では、まったく違う組織になります。
前者は“信じている上司”に見えるかもしれません。
でも後者のほうが、実はよほど相手に関心を持っている。
私は、こちらのほうが本当の意味で人を大切にしているマネジメントだと思います。
社員を育てるとは、ただ任せることではありません。
任せながら、見て、聞いて、考えて、必要なときに手を差し伸べることです。
その手間を惜しまないことが、「信頼」を空疎な言葉で終わらせないために必要なのだと思います。
経営者は「疑い深い人」であるべきか
この問いに対して、私はYesだと思っています。
ただし、それは人間不信になれという意味ではありません。
経営者は、
数字を疑う。
報告を疑う。
空気を疑う。
成功体験を疑う。
そして何より、自分自身の思い込みを疑う。
そうやって初めて、組織の本当の課題が見えてきます。
「今月は順調です」という報告を信じるのではなく、何が順調なのかを見にいく。
「このメンバーなら大丈夫」と安心するのではなく、どこにひずみが出ているかを見る。
「うちは人間関係がいい会社です」と言うのではなく、本当に言いづらいことが言えているかを確かめる。
経営者の疑い深さは、冷酷さではなく、現実から逃げない姿勢です。
見たくないものまで見る。
聞きたくないことまで聞く。
そのうえで判断する。
この態度がなければ、組織は「善意で壊れる」ことすらあると、私は思っています。
本当に信頼がある組織は、きれいごとだけではできない
信頼のある会社をつくりたい。
これは多くの経営者が願うことだと思います。
私もそうです。
でも、信頼のある組織というのは、単に「疑わない組織」ではありません。
むしろ、違和感を違和感のままにせず、互いに確認し合える組織のほうが、よほど健全です。
- その認識で本当に揃っているか
- その目標設定は無理がないか
- その“わかりました”は、本当に腹落ちしているか
- その“任せます”は、ただの放置になっていないか
こうした問いを雑にせず、面倒でも確認し続けること。
それは「疑う」というより、相手を雑に扱わないことなのだと思います。
『LIAR GAME』のこの場面が鋭いのは、
「疑うことは悪ではない」
「本当の悪は無関心だ」
という逆説を通じて、対人関係の責任を問うてくるところです。
経営者にとっても、これは他人事ではありません。
部下を見ているつもりで見ていない。
任せているつもりで放っている。
信じているつもりで、実は考えることをやめている。
そうなった瞬間に、組織の信頼は静かに壊れ始めるのだと思います。
まとめ:疑うことは、相手に関心を持つこと
『LIAR GAME』4巻 第29話/GAMEⅢを読んで、経営者として改めて考えさせられたのは、「信じる」という美しい言葉に逃げないことの大切さでした。
人を疑うことは、相手を否定することではない。
本当にそうなのかを見に行くこと。
言葉の裏を想像すること。
苦しさや無理や違和感を見落とさないこと。
つまり、相手に関心を持ち続けることです。
経営でもマネジメントでも、きれいな言葉はたくさんあります。
信頼、任せる、自主性、尊重。
どれも大切で、聞こえが良い言葉です。
でも、それらが思考停止の隠れみのになった瞬間、組織は一気に危うくなる。
だから私は、弊社の創業者である小松の言う通り、安易に信じるのではなく、きちんと自分の目で見て確かめる経営者でいたい。
そう思いました。
やはり、創業者の経験や言葉の重みは違うと感じました。